私の不妊治療体験談

「体外受精に進めばきっと妊娠できる」
「年齢的にも大丈夫なはず」
不妊治療専門クリニックに通い始めたのは結婚3年目、30歳になる年のことでした。

今思い返すと、あの頃の私はとても楽観的でした。生理は毎月規則正しく来ていましたし、婦人科系のトラブルも経験したことがなかったからです。
「妊活を始めたら妊娠できる」という根拠のない自信を持っていたのかもしれません。

でも、コロナ禍の中での結婚、引っ越し、転職という大きな生活の変化が続いたとき、体は正直に反応していました。
それまで時計のように正確だった生理が不規則になり、体調も何となくすぐれない日が増えていったのです。
それをきっかけに、家の近くの産婦人科でタイミング法を始めました。
しかし、ここで予想外の壁にぶつかることになります。

医師との相性は、治療において想像以上に大切でした。
質問をしてもそっけない返答で、十分な説明をしていただけないことが多く、いつも不安を抱えたまま帰宅していました。
妊娠への期待を胸に通院していたのに、だんだんストレスの方が大きくなってしまって。

「このままでは良くない」と感じ、思い切って専門クリニックに転院することにしました。
そして「少しでも早く妊娠したい」という気持ちから、人工授精をスキップして体外受精にステップアップしたのです。

「体外受精なら、きっと上手くいくはず」
そんな期待を込めて臨んだのですが、現実はそう簡単ではありませんでした。

1回目の移植では、わずかながら着床の可能性を示唆する数値が出ました。
ほんの少しの希望を抱いたのですが、それ以降は陰性が続きました。
グレードの良い受精卵ができても着床に至らない現実を前に、「完全に私に原因がある」という思いが心を占めていました。
何の問題もない夫に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

5回目の移植も陰性という結果でした。
保険適用の回数を考えたとき、夫と話し合いました。「もし保険の範囲内で妊娠が叶わなかったら、他の道も考えてみよう」と。
そうして実際に児童相談所を訪れ、特別養子縁組や里親制度について詳しく教えていただきました。
お話を伺う中で、「私たち夫婦であれば、この選択肢も素敵だな」と自然に思えるようになったのです。

6回目の移植に臨むとき、私の心境には変化が起きていました。「絶対に妊娠しなければ」というプレッシャーが、いつの間にか和らいでいたのです。
そして、その移植で初めて陽性判定をいただくことができ、無事に出産まで辿り着くことができました。あの時児童相談所に足を運んだことで、「絶対妊娠」への執着が緩んだことが、良い影響をもたらしたのかもしれません。

「諦めれば妊娠できる」という言葉をよく耳にしますが、今でもこの言葉は好きになれません。
私が妊娠できたのは、諦めなかったからだと思っています。
ただ、他の選択肢も前向きに捉えられるようになったという心の変化が、結果的に良い方向に働いたのは確かだと感じています。

不妊治療の道のりは、本当に人それぞれです。
私の体験が少しでもどなたかの参考になれば嬉しく思いますが、これが唯一の正解ではありません。
治療中の皆さまの歩みを、心から応援しています。

 このコラムを書いた人 

さやか

東京都 在住。
海なし県出身で、海を見るとテンションが上がりがち。
公認心理師・キャリアコンサルタント。
不妊治療と仕事の両立に悩んだ果てに、
自分でキャリコンの資格をとりました。
Instagram・Threadsでは、不妊治療に
疲れた心と体に寄り添う投稿をマイペースに更新しています。

Instagram:https://www.instagram.com/s_ninkatsu_shinri
Threads:https://www.threads.com/@s_ninkatsu_shinri