私の体験談 〜直子さん〜
私はソーシャルワーカー、カウンセラーとして活動しており、専門職として医療従事者プログラムに参加しました。
プログラムに参加した理由は、医療従事者・専門職というだけではなく不妊症の当事者として、
どちらの立場も理解できることが私の強みだと思い、同じような状況にある人の役に立ちたいと思ったからです。
私は37歳で結婚しました。それまでは仕事に趣味に…と自由気ままに暮らしていましたが、
「いつか結婚して、子どもは最低2人ほしい!」と漠然と思っていました。
本当に思っていただけで特に焦ることもなく、「いつかなんとかなるだろう」と楽観的で、
ニュースでよく耳にする「高齢出産」「不妊・不育」「流産」…このような言葉はどこか他人事でした。
「自分には関係のない世界のこと」と考えていたからです。
結婚して半年が過ぎ、妊娠に至らなかったので産婦人科を受診すると、
卵子が大きく育っていないことがわかり、排卵障害と診断されました。
そのとき、20代の頃に「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されていたのに放置していたな…ということを思い出し、
仕事中心の生活や偏った食事をしていて自分の体を労わってなかったことを反省しました。
すぐに不妊治療を開始し、ありがたいことに開始2か月で妊娠することができました。
妊娠がわかってからの毎日は、今まで生きてきた中でいちばん幸せでした。
妊娠の情報が得られるアプリをダウンロードして、毎日眺めました。
そして「男の子?それとも女の子?」「名前は何がいいかな」などといろいろなことを想像したものです。
しかしながら、お腹の赤ちゃんは「9週の壁」を超えることはできませんでした。
稽留流産でした。
2週間前には確認できていた心拍が確認できなくなっていたのです。
その日は出産予定日が確定する予定で、病院の帰りに母子手帳をもらいに行くはずでした。
出産予定日の代わりに、手術の日が決まりました。
妊娠したら100%出産できるわけではないー
恥ずかしながら、自分の身に降りかかってはじめて、
「高齢出産」「不妊・不育」「流産」を理解したのでした。
このプログラムに出合ったのは、本当に偶然でした。
流産の経験後、いろいろな思いが心の中にドロドロと溜まっていき、
インターネットで検索魔になっているときでした。
プログラムを見つけたときは「これはあの子が導いてくれたんだ」と思い、
すぐに申し込みをしました。
ピアサポーターは、同じ立場で支え合う仲間のことです。
支え合うことでお互いの心を癒すといった相乗効果が生まれるのだと思っています。
同じ立場だからこそ、その声は相手の心に響きます。
経験をしたからこそ、あなたにしかできないサポートがあるのです。
あなたのしたいこと、できそうなことから一緒に始めてみませんか?
これから協会で開催される研修会や交流会で、みなさんに会えることを楽しみにしています。
渡邉直子
福島県郡山市出身、在住
社会福祉士、公認心理師、精神保健福祉士、子どもは2人
家では冷凍庫に氷を常備する係ですが、いつも氷を切らしていて夫に怒られます。