子供をあきらめたあなたへ ~ある不育症経験者からのメッセージ~

小さいころからの私の夢のひとつは「お母さんになること」でした。そして、子供は保育園に預けることなく自分の手で育てたいと専業主婦の道を選びました。24歳の時、大学院生博士課程に在学していた夫と学生結婚。彼が大学院を卒業して仕事に就き、子供を迎えられる環境が整うのがどれほど待ち遠しかったか。。。でも、そんな私を待ち受けていたのは、度重なる流産と不育症の診断でした。

 夫は発生学の研究者でした。「自分のことが論文のネタになるのは嫌だ。」と、検査や治療を拒みました。私自身も、自然に授からない命なら、、、と、医師から勧められた不育症の検査や治療は受けず、そのまま子供をあきらめました。

 当時、夫の仕事の関係で、私は今まで暮らしたことのない、見知らぬ土地であるK市に住んでいました。見知らぬ土地で専業主婦をやっており、そこには友人もいませんでした。遠方の故郷に住んでいる、昔から仲のよかった友人たちは、ちょうどお子さんが生まれたばかりで忙しく、彼女たちに悩みを打ち明けることもできず、夫が仕事に送り出した後、一人、涙を流す日々が続きました。でも、それが尋常でない精神状態であることにすら、気づかなかったのです。。。

 3人目の子供を失い、子供を諦めてから半年ほど経ったとき、極度の不眠に陥りました。そして、心臓神経症で2回救急車で運ばれ、その後はひどい自律神経失調症とパニック障害で、いっときは、ほぼ寝たきりの生活になってしまいました。とても家事をできる状態ではなく、私は実家に戻って養生しました。唾液が全く出なくなり、おかゆを食べてもまともに消化できず、食事をするたびに母親に背中をさすってもらって消化を促してもらいました。子供ができなかっただけでも本当に辛かったのに、その上、普通に生きることすらできないなんて。。。私は神様を恨み、ただただ、絶望のどん底の日々を過ごしました。

 そんな私に、わずかな希望を与えてくれたのが、
「どんな低い山でもいいから、もう一度、山に登れる体になりたい。。。」
という、あの当時は、はるかかなたの夢の出来事のように思えた、か細い、か細い目標でした。

 たまたま父親が時々利用していた鍼灸を訪ねて私の治療が始まりました。治療を始めてしばらくすると、鍼灸師さんからウォーキングを勧められました。重い夏バテのような体の状態でしたから、はじめは10分間歩くのも必死でした。何度も吐きそうになりながら、よろよろと歩きました。毎日、毎日、ただただ、歩くことと、悲しい思いを詩に綴ることが、当時の私の「生きる」でした。

 10分が15分、15分が20分、、、と、少しずつ歩ける距離が長くなり、それに伴って、夏バテのような自律神経失調の症状が軽くなっていきました。

 数か月後、やっと体調が回復してきてK市に戻った私を次に待ち受けていたのは、夫の浮気でした。そして、私が遠慮がちに性生活を求めても、彼は私とは不能の状態で、「俺をこんなふうにしたのはお前のせいだ!」と怒鳴られました。この夫とは間もなく離婚しました。

 あれから、もう30年ほどの歳月が流れてしまいました。今、私には子供も夫もいません。娘(孫)代わりのラブラドールレトリーバーと暮らしています。そして、私の趣味は登山。昨夏は北アルプスや八ヶ岳に登り、ついこの間、初めての雪山登山にチャレンジしてきました。

 今、不育や不妊に苦しんでいらっしゃる若い皆さんにお伝えしたいことがあります。子供を授からなかったとき、私は崖から突き落とされたような気持ちになりました。おそらく、皆さんも同じような気持ちになられていると思います。でも、実際には、それは崖ではありません。確かに落ちますが、そこは奈落の底の崖ではなく、ちゃんと足をついて立てる高さの段差なんです。もちろん、落ちたところから立ち上がるには、大きな勇気が要ります。気持ちの切り替えも必要だし、周囲の人の支えも必要です。そして、時間も必要です。でもね、もう一度立ち上がって前を向いて歩き始めると、今までとは全く違う世界が広がりますよ。そして、子供に恵まれなくても、新しい世界で、十分に幸せに生きていくことができるんですよ。

 不育や不妊に苦しんでいる皆様に、微力ながら寄り添い、共に泣き、皆様が、もう一度、前を向いて歩き始める背中を押してあげることができたなら、私はとても幸せです。

 このコラムを書いた人 

Neige1214

神奈川県出身、神奈川県在住。
現在、娘(孫?)代わりの
愛犬(ラブラドールレトリバー♀)と二人暮らし。
山とビールをこよなく愛す山ガールならぬ山おばさん…
最近は「山レディー」という呼び方にしています(^^;)